大阪地方裁判所 昭和59年(ワ)3083号 判決 1987年4月17日
原告
加藤登志雄
右訴訟代理人弁護士
佐々木敬勝
同
西村元昭
同
玉城辰夫
被告
植村幸一
右訴訟代理人弁護士
藤井光男
主文
一 被告は原告に対し、別紙物件目録三、四記載の土地上に存する同目録五記載の菓子工場における操業により、午前六時から午前八時まで五〇ホン、午前八時から午後六時まで五五ホン(いずれも同目録三、四記載の土地と同目録一記載の土地との境界上における測定値による。)をそれぞれ超える音量を同目録一記載の土地上に侵入させてはならない。
二 被告は原告に対し、金五〇万円を支払え。
三 原告の請求の趣旨第2項記載の損害賠償請求のうち昭和六一年六月一日以降に関する部分を却下する。
四 原告のその余の請求を棄却する。
五 訴訟費用はこれを四分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
六 この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し、別紙物件目録三、四記載の土地上に存する同目録五記載の菓子工場における操業により、午前六時から午前八時まで五〇ホン以上、午前八時から午後六時まで五五ホン以上、午後六時から翌日の午前六時まで四五ホン以上(いずれも同目録三、四記載の土地と同目録一記載の土地との境界上における測定値による。)の音量を同目録一記載の土地上に侵入させてはならない。
2 被告は原告に対し、昭和五八年六月一日から前項の音量差止に至るまで一日につき金五〇〇〇円の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 第2項につき仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1 原告は、別紙物件目録一、二記載の土地及び建物(以下、それぞれ「本件土地」、「本件建物」という。)を所有し、昭和五八年五月上旬ころから、妻由美、長女育代(昭和五〇年三月五日生)、二女純子(昭和五四年七月一七日生)、長男恭平(昭和五六年一〇月七日生)と共に本件建物に居住している。
2 被告は、本件土地の西隣に別紙物件目録三、四記載の各土地及び右各土地上に存する別紙物件目録五記載の菓子工場(以下、それぞれ「被告所有地」、「被告工場」という。)を所有し、原告及びその家族が本件建物に入居する以前から被告工場においてあられなどの菓子の製造を行つている。
3 本件建物及び被告工場が存する地域(以下「本件地域」という。)は、都市計画法上の住居地域に属し、大阪府公害防止条例による本件地域の騒音排出基準は、同条例施行規則(以下「条例施行規則」という。)第七条別表第七において、午前六時から午前八時まで五〇ホン、午前八時から午後六時まで五五ホン、午後六時から翌日の午前六時まで四五ホンと定められている。
4 被告は、被告工場内に餅つき機、乾燥機等の機械を設置し、平日はもちろん祝祭日にも、午前七時四五分ころから午後六時ころまで昼の休憩時間を除いて間断なく右機械等を稼動させて操業を行つており、これにより原告及びその家族が本件建物において日常生活を営むうえで耐え難い騒音及び振動を発生させている。これを詳述すると、次のとおりである。
(一) 原告の苦情申入れにより、昭和五八年七月上旬ころ大阪市東住吉保健所が行つた騒音及び振動の測定によると、本件土地と被告所有地の境界線上における昼間の騒音値は七五ホンであり、条例施行規則に定める工業地域及び工業専用地域並びに大阪国際空港及び八尾空港の敷地における昼間排出基準七〇ホンを大きく上回る数値であつた。
(二) 同じく昭和五九年二月二日の測定によると、本件土地と被告所有地の境界線上における昼間の騒音値は約七〇ホンであり、振動値は五五デシベルであつた。被告が騒音改善行為を行つたことにより本件建物一階に侵入する騒音が若干減少したものの、依然として本件地域における騒音排出規準を大幅に上回つていた。
(三) 現在に至るも被告工場からの騒音の排出状況は右(二)の当時と変わらず、排出基準を上回つている。また、右(二)の振動値は、条例施行規則に定める排出基準内にとどまつているものの、原告及びその家族が主として生活している本件建物の二階、三階部分における体感振動はさらに大きいものであり、到底本件建物において平穏な生活を営むことはできない状態である。
5 被告の騒音及び振動発生行為は、次のとおり極めて違法性が強いものであり、原告及びその家族の平穏に生活する権利を侵害していることは明白である。
(一) 被告は、昭和五七年一〇月ころ、訴外大道建設株式会社(以下「大道建設」という。)から現在の被告所有地中の南側部分を購入し、右土地部分に菓子工場を増築して現在の被告所有地及び被告工場の状態にしたものであるが、右増築部分と本件建物の外壁の間隔は四、五〇センチメートルにすぎないところ、被告は、右土地購入の際、大道建設が被告所有地の隣地において本件建物を含む数棟の住居用建物を建築、分譲する計画を有していることを十分承知していたにもかかわらず、何ら騒音防止の措置を施さずに菓子工場の増築を行い、騒音の発生源である機械類を増設又は移設したものである。
(二) 被告が大阪市東住吉保健所の改善指示を受けて昭和五八年七月以降に行つたと主張する騒音減少のための改善行為の大半は、すでに耐用年数を経過している機械類の部品交換にすぎない。
また、被告は、被告工場一階部分の壁面の一部をスレート壁からモルタル壁に変更したが、主な騒音源である乾燥機は被告工場の二階に設置されており、主として本件建物の二階、三階で生活している原告及びその家族の居住環境が改善されるには至つていない。
(三) 騒音防止工事については公的な融資制度が存するが、被告は、すでに借財があることを理由にこれを利用せず、右(二)の壁面改良を行つたほかは、被告工場の建物に対する抜本的改善行為を行つていない。
6 原告及びその家族は、被告工場から排出される騒音のため、昼間は自宅で安静を保つことができず、夏場に窓を開放することもできないため、外出せざるを得ない状況にある。ことに長男(本件建物入居時一歳七か月)は、被告工場から排出される騒音や振動の影響でたびたび鼻血を出しており、妻はその看病に追われている。
このように、原告は、被告が排出する騒音及び振動により、家族の健康及び家庭の平穏を害され、一家の主人として著しい精神的苦痛を被つている。
7 よつて、原告は、被告に対し、平穏に生活する権利(人格権)に基づき、請求の趣旨第1項記載のとおりの侵害行為の差止を請求するとともに前記6の被告の原告に対する生活妨害が不法行為となることを理由に被告の原告に対する継続的な不法行為の開始後である昭和五八年六月一日から右侵害行為の差止に至るまで一日につき金五〇〇〇円の割合による慰藉料の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否及び被告の主張
1 請求の原因1の事実のうち、原告の家族の氏名及び生年月日は、不知、その余の事実を認める。
2 同2の事実を認め、同3の事実は不知。
3 同4の事実のうち、被告が被告工場内に餅つき機、乾燥機等の機械を設置し、これらを稼働させて騒音及び振動を発生させていること及び被告が現在も被告工場で操業を継続していることを認め、その余の事実は不知又は否認する。
4 同5の事実のうち、被告が大阪市東住吉保健所から騒音を改善するよう勧告を受けたこと及び被告工場一階の内壁をスレート壁からモルタル壁に改造したことを認め、被告の騒音発生行為が違法であるとの主張を争う。
5 同6の事実は不知。
6(一) 被告は、行政機関の指示に従つて直ちに騒音改善計画書を提出し、昭和五八年七月一八日から昭和五九年二月までの間合計九九万三一六〇円を費やして、餅つき機及び乾燥機の部品をより衝撃音の少ないものに交換し、被告工事一階部分の内壁をスレート壁からモルタル壁に改良し、ガス式ボイラーを導入するなどの改善行為を行つたので本件土地と被告所有地との境界線上の騒音値は、昭和五九年二月二日までに七五ホンから六九ホンに減少した。
(二) 被告は、昭和五九年二月二日以降も騒音減少のための改善行為を行つたほか、原告、被告、大道建設の三者間で騒音防止のための交渉を重ねてきた。
(三) 現在、餅つき機は隔日の午前中に、乾燥機は冬期午前八時から午後五時まで、夏期午前八時から午後二時三〇分まで稼動させているにとどまる。
(四) 本件地域には、住宅と小規模作業場が混在しており、昼間の白色騒音は四五ホンに達している。
(五) 被告は、昭和三一年一一月以来被告工場で操業を行つており、昭和五七年一一月に工場を増築したが、原告を除き、近隣住民から騒音、振動についての苦情を受けたことはない。
(六) 被告工場から排出される振動は本件地域の排出基準内にとどまつている。
したがつて、被告工場から排出する騒音、振動は、原告及びその家族の受忍限度内にあるというべきである。
第三 証拠<省略>
理由
一原告が、本件土地・建物を所有し、昭和五八年五月上旬ころから本件建物に妻、長女、二女、長男とともに居住していること、被告は、原告及びその家族が本件建物に入居する以前から本件土地・建物の西隣に存する被告所有地及び被告工場を所有し、被告工場であられなどの菓子を製造していて、被告工場内に餅つき機、乾燥機などの機械を設置し、これらを稼働させることにより、騒音及び振動を発生させて現在に至つていること、被告が大阪市東住吉保健所から騒音改善勧告を受けて被告工場一階の内壁をスレート壁からモルタル壁に改造したことは、いずれも当事者間に争いがない。
二右一の争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の諸事実が認められる。
1 本件地域は、騒音、振動に係る排出基準を定める条例施行規則第七条別表第七の第二種区域(騒音)、同条別表第八の第一種区域(振動)にそれぞれ該当するところ、本件地域の騒音に係る排出基準は、朝(午前六時から午前八時まで)五〇ホン、昼間(午前八時から午後六時まで)五五ホン、夕(午後六時から午後九時まで)五〇ホン、夜間(午後九時から翌日の午前六時まで)四五ホンであり、同じく振動に係る排出基準は、昼間(午前六時から午後九時まで)六〇デシベル、夜間(午後九時から翌日の午前六時まで)五五デシベルである。
本件建物は、南北をそれぞれ幅員八メートル、6.5メートルの東西道路に囲まれた区画に存し、近隣に被告工場、青空駐車場(本件建物の東隣)、縫製工場、工務店などがあるほかは、住宅に囲まれている。
2 原告は、昭和五八年四月二一日ころ大道建設から本件土地、建物を購入し、同年五月五日ころから妻、長女、二女、長男とともに本件建物に居住している。
原告は、右購入にあたり、同年四月初めころから二、三回いずれも日曜日に内装工事中の本件建物を下見し、西隣にスレート葺の倉庫様の建物があることに気づいたが、その使用状況については大道建設に説明を求めることもなかつた。そして、原告は、入居直前の同年五月四日ころの平日に本件建物を訪れて初めて西隣の建物からゴーンというモーターの回転音のような騒音が排出されていることを知り、大道建設に問い合わせたところ、被告の菓子工場の操業による機械騒音であることが判明した。
原告は、大道建設に騒音対処分を依頼し、大道建設、被告間で騒音対策につき話し合いがなされたがまとまらなかつたため、昭和五八年六月三〇日に原告自ら大阪市の環境課に被告工場の排出する騒音、振動についての苦情を申し入れた。そこで、同年七月七日、大阪市東住吉保健所が被告工場の騒音、振動を測定したところ、被告工場内の騒音は八五ないし九〇ホン、被告所有地と本件土地の境界線上の騒音は七五ホン、同所における振動は辛うじて排出基準内におさまる数値であつた。本件建物の外壁と被告工場の外壁はほぼ平行で、その間隔は五〇センチメートル程度である。
3 被告は、昭和三一年一一月ころから現在の被告所有地中の北側部分にあたる別紙物件目録三記載の土地上の工場で菓子の製造を始め、昭和四六年ころからは餅つき機一台、乾燥機四台などの機械を設置して操業をしてきたが、昭和五七年一〇月に大道建設から本件土地の西隣の別紙物件目録四記載の土地を購入し、同年一一月、右土地上に菓子工場を増築して増築部分一階に餅つき機、洗米機等を移設し、増築部分二階に箱型乾燥機一台を移設するとともにベルトコンベア式乾燥機一台を新たに設置して現在に至つている。右菓子工場の外壁は、多くの工場にみられるスレート製であり、遮音材等は使用されていない。
被告工場における操業は、日曜日を除く連日、午前七時五〇分ころ開始し、正午から午後一時までの休憩時間を除いて午後六時ころまで行われ、主たる騒音、振動源である餅つき機及び乾燥機の稼働時間は、餅つき機が火木、土曜日の午前中二時間ないし二時間三〇分、乾燥機が冬期午前八時ころから午後五時ころまで(休憩時間を除く。)、夏期午前八時ころから午後二時三〇分ころまで(休憩時間を除く。)であり、現在従業員四名、パートタイマー一名が作業を行つている。
被告は、操業開始後前記増築の前後を通じ、原告以外の近隣住民から被告工場の排出する騒音、振動につき苦情を受けたことはない。
4(一) 被告は、昭和五八年七月七日に大阪市東住吉保健所から前記2の測定結果に基づき騒音排出基準遵守及び改善計画書の提出の指示を受け、これに応じて翌八日、餅つき機の羽受け交換、本件建物側にある換気扇の除去、密閉、乾燥機上部の覆いがけ、乾燥機のファン及びプーリーの小形化を内容とする改善計画書を提出し、これらの改善を同年八月二〇日ころまでに完了した。
(二) しかし、騒音値は、さほど減少せず、被告は、昭和五八年八月二四日ころ、右保健所から防音工事による抜本的改善をするよう勧告を受け、防音工事専門業者としてフネン工業など数社を紹介された。そこで、被告は、フネン工業及び一般建築業者である大成建設に防音工事費用の見積りを依頼したところ、それぞれ、三五〇万円、六九万円という見積りであつた。
被告は、同年九月九日に右保健所から大阪市の低利の融資制度を利用してフネン工業に工事を依頼するよう指導されたが、フネン工業の防音工事によつても騒音が排出基準内に減少する保証がなく工事費用の上限が把握できないこと、当時すでに六〇〇万円の借金があり、さらに三五〇万円の借り入れをすると被告の菓子工場経営に重大な支障が生じることなどの理由から、フネン工業への工事依頼を断念し、同日、原告に対し、大成建設に防音工事をさせる方法での和解を申し入れた。
(三) ところが、原告が昭和五八年一〇月ころ大道建設を被告として本件建物の隠れた瑕疵を理由に売買代金の返還を求める訴訟を提起したため、大道建設が被告工場と本件建物の間に防音壁を設置する和解案を申し出たことなどにより、原告、被告間の和解交渉は立ち消えとなつた。
(四) 被告は、右(一)の改善行為後も、機械類の部品交換を重ね、昭和五八年一二月に一五万〇三三〇円を費やして被告工場一階東側及び南側の内壁をスレート壁からモルタル壁とし、昭和五九年二月には従来の灯油式に比べ騒音の少ないガス式ボイラーを導入するなどして、昭和六〇年一二月までに合計一六六万九九三〇円を費やして騒音の改善を行つた。
(五) 大阪市東住吉保健所が昭和五九年二月二日午前一〇時三〇分から午前一一時までの間に本件土地及び被告所有地の境界線上で行つた騒音及び振動の測定結果は、騒音六九ホン、振動五五デシベルであつた。
以上の諸事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠は存しない。
三前記二の認定事実をもとに、被告の損害賠償責任について検討するに、被告工場の排出する騒音、振動が違法であるとして被告が不法行為に基づく損害賠償義務を負うものとされるのは、右騒音、振動が一般人において社会生活上受忍すべきであると考えられる範囲を超える場合に限られるというべきであるから、この点につき検討する。
1 被告工場の排出する振動は、原告が本件建物に入居した当初から排出基準内にとどまつており、被告本人尋問の結果により主たる振動発生源と認められる餅つき機の稼働は、隔日の午前八時以降の二時間ないし二時間三〇分程度に限られているのであるから、右程度の振動をもつて、社会生活上受忍限度を超えるものと認めることはできない。
2 次に、被告工場の排出する騒音についてみるに、本件地域が住宅用地域であること、本件建物が騒音発生源たる機械の集中している被告工場の増築部分に極めて近接していること、原告が本件建物に入居した当初の騒音測定値七五ホンは、<証拠>によれば、条例施行規則の定める大阪国際空港及び八尾空港の敷地における排出基準をも上回る高数値であること、被告は、遅くとも被告工場増築後は、右程度の騒音を排出していたものと推測されるところ、昭和五八年七月七日に大阪市東住吉保健所から改善指示を受けるまで何ら騒音防止の配慮をしていなかつたこと、原告は、被告工場からの騒音を知らずに本件土地・建物を買い受けたものであり、その騒音を知らなかつたことにつき過失ありと認めるに足りる事情は窺われないことが認められるのであり、これらの事情に対し、被告の一応の努力により騒音が六九ホン程度に減少したこと、被告が原告の本件建物入居以前から被告工場での操業を行つていること、本件建物の建築が被告工場の増築後になされたものであること、被告が原告を除く近隣住民から被告工場の排出騒音について苦情を受けたことがないことなどの事情を考慮しても、なお、条例施行規則の定める朝五〇ホン、昼間五五ホンを超える騒音については、本件建物において社会生活を営むうえで受忍すべき限度を超えたものであるというべきである。
したがつて、被告は、原告に対し、昭和五八年六月一日から本件口頭弁論終結の日の属する月の末日である昭和六一年五月三一日までの騒音については不法行為に基づく損害賠償義務を免れない。
3 原告の損害について検討する。
<証拠>によると、原告及びその家族は、本件建物の一階をガレージ、台所、風呂場などに利用しており、居室はすべて二、三階に配置されていること、原告の長男(入居時一歳七か月)が本件建物入居後、頻繁に鼻血を出し、何度か通院していることが認められ、被告工場の二階部分に乾燥機が設置されているが防音工事は施されていないことはすでに認定したとおりである。これらの事実に、前記二で認定した騒音排出状況を総合すると、被告工場からの排出騒音が原告及びその家族の本件建物における静穏な生活を害し、その肉体的精神的健康に悪影響を及ぼしていることは明らかである(しかしながら、原告の長男の鼻血については、本件全証拠によるも被告の排出騒音との因果関係を肯定することができないから、この点について原告の慰藉料請求を認めることはできない。)。そして、被告の違法な騒音排出の態様、期間、原告の本件建物入居経過、原告、被告間の和解交渉経過などの事情を総合考慮した結果、原告の右精神的損害に対する慰藉料は五〇万円とするのが相当である。
4 将来の侵害行為の違法性の有無及びこれにより原告が被る損害の有無・程度は、今後被告により講じられる騒音防止対策、原告の生活状況の変動等の事情により左右されるものであり、損害賠償義務の成否・内容を現在の事実関係、法律関係から一義的に明確にしえないから、原告の損害賠償請求のうち本件口頭弁論終結の日ののちである昭和六一年六月一日以降に生ずべき損害の賠償請求の部分は、権利保護の要件を欠くものとして却下を免れない。
四次に、差止請求の可否について判断する。
1 原告は人格権に基づき違法な騒音の差止を求めうるところであるが、差止請求の可否は、損害防止の困難さの程度、それに要する費用、防止義務者に与える影響等を考慮のうえ、損害賠償の可否の判断に比しより慎重に行わなければならない。
2(一) 前記認定のとおり、防音工事専門業者であるフネン工業は、防音に必要な工事費用を三五〇万円と見積つている。たしかに、同社は、右工事により五五ホンを達成できると確約していないが、専門業者の見積りである以上三五〇万円の工事により少なくとも五五ホンに近い数値を達成できるものと認められる。
(二) 前記認定のとおり、被告は、パートを含め五名の従業員を使用して菓子製造等の事業を行つているものである。
(三) 被告は経営が苦しいと主張するけれども、前記認定のとおり、被告は、昭和五七年一〇月に被告土地のうち別紙物件目録四記載の土地を購入し、右土地上に菓子工場を増築し、事業の拡大を図つたものである。
(四) 前記認定のとおり、被告は防音工事に要する費用につき大阪市の低利の融資を利用することができる。
(五) 弁論の全趣旨によれば、被告が昭和五七年一一月の菓子工場増築時に騒音対策も念頭においた機械の選定・配置、工場建物の設計・建築を行つていれば、防音対策費用の軽減を図ることができたものと認められる。
3 右2に説示の事情によれば、被告にさらに三五〇万円程度の出費を求めたことが被告の事業の遂行に過大な負担を課するものとは解せられない。右程度の負担は、被告が工業地域に属しない被告土地上で菓子製造を継続する以上、やむをえないものといわなければならない。
4 以上の諸事情に加えて、前記二で認定したとおり、被告工場の操業により排出される騒音は現在本件土地と被告所有地との境界線上で六九ホンであり、これは、条例施行規則に定める都市計画法により工業の利便を増進するために定められた工業地域及び工業専用地域並びに空港敷地における排出基準値七〇ホンとほぼ同数値であつて、およそ住居の環境を保護すべき地域(住居地域)において受忍すべき数値とは解されず、そのうえ、被告は、被告工場増築の際、被告所有地の東隣に住居用建物が建築されることを予測し得たにもかかわらず、何ら増築部分について抜本的な防音対策を施していないことを併せ考えると、原告は、人格権に基づき、被告に対し被告工場の操業により排出される一定値以上の騒音の差止を求めることができるものと解するのが相当である。そして、差止請求についても損害賠償請求と同じ基準を適用すべきであるから、午前六時から午前八時まで五〇ホン、午前八時から午後六時まで五五ホンを超える音量の差止を求める請求は理由がある。
5 原告は、午後六時から翌日の午前六時までについても騒音の差止を求めているけれども、前記認定のとおり被告は午後六時から翌日午前八時までの間は操業せず何ら侵害行為を行つていないものであるから、この時間についての差止請求は理由がない。
五よつて、原告の本件請求は、主文第一、二項掲記の限度で理由があるからこれを認容し、損害賠償請求中昭和六一年六月一日以降の部分は不適法であるからこれを却下し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官辻忠雄 裁判官市川正巳 裁判官野島香苗は、転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官辻忠雄)
別紙物件目録<省略>